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つれづれ日記
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一年のしめくくり
2005年12月31日(土)
朝は、割とゆっくり寝たが、たまっている原稿を書いたり、事務所の片づけをした。一年の過ぎるスピードは年齢に比例するという人がいるが、そのとおりと思う。特に、今年は、夏に突然の解散総選挙もあり、お盆の休みを取ることができなかったため、年間を通じて、一週間は休んでいないと思う。しかし、嵐のような選挙の後、国民一人のひとりの不安は増えるばかりではないだろうか。耐震強度の偽装事件、連続して起こった小学生の刺殺事件や列車事故。効率や、自己の利益ばかりを追い求める風潮が日本全体をおかしくしている。来年が良い年になるよう覚悟をもってがんばりたい。
 
本当の豊かさと景気回復
2005年12月30日(金)
事務所は一応、休みに入っているが、用事がのこっており、二人のスタッフが出てきてくれる。夕方は、野宿生活者の人たちの越冬支援活動の拠点をたずねる。政府は景気はよくなったといっている。確かに、かなりの数の大手企業は、最高の収益を上げているし、株価も上昇している。また、野宿生活の人たちの数も、ここ名古屋では減少してきているようである。しかし、あいかわらず、失業率は低くはなく、少し下がったといっても、正社員になるのをあきらめて、アルバイト、パート労働者になってるというのが実態ではないだろうか。冷え込んできてから、五人ほどの方が亡くなったと聞いた。どんなに、株価が上がっても、これでは本当の豊かさとはいえない。夜は、名古屋市の設置する越年のための仮宿泊施設を訪問した。
 
日韓関係について
2005年12月29日(木)
一日、地元を回った後、以前から要請のあった勉強会の講師として、三重県に赴く。テーマは、「日韓関係における議員交流」である。
 
2005年12月28日(水)
今年最後の早朝街頭活動を行う。通算で938回目である。しかし、今年は天気予報がはずれ、大変に雪の多い冬になりそうで、演説をしていても、体が芯から冷えてくる。今日、明日で多くの方が、仕事納めと思うが、所得税減税の定率減税廃止、ビール、タバコの増税、患者にとっても、医師にとっても、よいとは思えなは医療制度見直しと、不安ばかり深める現政権に来年こそ「ノー」を突きつけなければならない
 
2005年12月26日(月)
年内の事務所活動はまだ続くが、とりあえず、一・二階の床の大掃除の若い人たちの応援を得て、行う。午後、亡くなられた中部経済連合会会長・安部浩平氏のお別れの会に出かける。親子二代でお世話になり、政治の世界に入ったばかりの頃、よくご助言をいただいたことがある。万博を推進し、この中部経済界を牽引された同氏のご冥福を心からお祈りしたい。
 
一人の政治家として
2005年12月25日(日)
今日、私の秘書を務め、この春の補欠選挙で初当選をした岡本市会議員の後援会発足初の旅行会が行われ、敦賀の方面に年末買出しに出かけた。私は、都合で全面参加というわけにはいかなかったが、昼食会場にお邪魔させていただき、ございさつをした。来賓代表ということであったが、私としては、とにかく「感謝」の気持ちをお伝えしたかった。彼は、本当にすばらしい秘書であった。政策的におかしなことをしたら、私は意見をいうつもりだが、いまや一人の政治家である。しっかりと見守りたい。夜は中国からの来日当初からの友人である琵琶演奏者のとぜんしょうさんのクリスマスコンサートに出かけた。なお、昨日から関心をもっていたスケート競技の放送は深夜のニュースで確認。逆転優勝した村主選手の活躍に心がふるわされた。本番もがんばれ!。なお、浅田選手のこと、その時に、一番うまい選手が選出されないのは、おかしいかもしれないが、それを承知の、若年化する選手を守る規定であり、規定をそのつど、いじるのは、いかがと思う。また、オリンピック至上ではないはずであり、世界選手権での大活躍を心から祈りたい。
 
緊張感を楽しむ
2005年12月24日(土)
 一日中、地元であいさつ回りをした後、夕方は友人主催のクリスマス会へ。ただ、一年のこの時ぐらいは家族と過ごさないといけないので、7時すぎにもどる。
 しかし、フィギアスケートのショートプログラムはテレビを見ていても、緊張感と演技をした後の満足感が伝わってきて、すごかった。あの中から三人しか選ばれないなんて、もったいないくらいのスケーターばかりである。
 私自身も、学生時代に水泳とスキーという競技に熱中していたが、あのおしつぶされそうになる緊張感の中で、いかに普段の成果を出せるかどうかが結果につながるのである。そういう緊迫感のある舞台に立てるのは本当にすばらしい。明日のフリーの演技が楽しみである。
 
久しぶりの休み
2005年12月23日(金)
 昨日から降り続いた雪が積もり、今日は急遽、休むことにした。髪の毛を切りにいったり、部屋の書類を整理した。
 ただ、夕方六時から、青年会議所の先輩の黄綬褒章受賞記念祝賀会があり、それには、電車を乗り継いで、出かけた。雪が朝までに止んで、昼から晴れて本当によかった。石田先輩おめでとうございます。
 
おかしな気象
2005年12月22日(木)
 夕方から、降雪がひどくなる。予定通り、事務所の忘年会を開くが、早々に切り上げる。せっかくの年末の週末なのに、飲食店は大変だと思う。しかし、12月としては、58年ぶりの大雪という。今年は、秋が異常に暖たかったと思っていたら、冬になった途端、この気象である。やはり、なにかがおかしい。
 
憲法に対する考え方
2005年12月18日(日)
昨日の夕方からリベラルの会の合宿である。講師に辛淑玉さんを迎え、20名が参加して多いに盛り上がった。テーマは、「とにかく相手の気持ちになって考えよう!痛みを分かろうよ!」ということであり、楽しい中にも緊張感溢れる勉強会となった。
なお、一昨日の読売新聞の憲法に対する考え方の党内分布図に初めて我々の「リベラルの会」が載り、平岡秀夫議員と私の名前もあった。存在感が認められたのは嬉しくもあるが、いよいよ、前面に出ていくんだという感じがする。 
 
民主党大会
2005年12月17日(土)
昨日の午後から、民主党の党大会である。前原代表の党内議論を重視しない姿勢、外交政策等において、かなり異論や批判が噴出した。前原さんが持っていこうとしている民主党は自民党とあまり違いがないようであり党内からの異論も多い。
 ここから初めて総括が始まるのだと思う一方、代表になった途端、党内意見の調整をする前に「私はこう思う」というリーダーのやり方は、波乱を含みすぎていると心配している。私は議論の中で、リーダーシップを発揮してほしいと思う。そうしないと民主党の軸は、代表が変わるごとにいちいちぶれていくことになってしまう。
 
緊急の青少年問題に関する特別委員会
2005年12月16日(金)
午前中、青少年問題特別委員会を委員長として、行う。主題は「子どもの安全対策について」であり、各党の委員から、政府・猪口大臣、文部科学省、厚生労働省、警察庁などの各省庁の担当者らに対して対策を問い直した。社会のひずみが弱い子どもたちに悲惨な影響を与えている。早急に現実的な対応をすすめるとともに根本の問題解決に手をつけていかなくてはならない。
 生命を奪われた子どもたちに心からお悔やみを申し上げたい。なお、この問題は継続して取り組んでいくこととしており、年明けの通常国会でも早々に議論をし、普段は、大臣所信をきいたり、予算が成立しないと委員会の質疑に入れないのだが、そういった慣例を越えて迅速に質疑を行っていく予定である。
 
12月11日〜15日 中国訪問
2005年12月11日(日)
 仲間の議員、前議員ら計7名で中国へ向かった。元々、地元の仲間たちのグループと訪中する予定であったのだが、昨年、訪中した仲間の議員から「今年もぜひ」という声があがり、別立てで出発して、現地で合流することとなった。
 上海、南京、北京という行程だったが、上海では上海淞滬抗戦記念館を参観した。ここは、最近、本格的にオープンしたところである。日中戦争を考える上で、見逃されがちであるのだが、日本の部隊は南京には元々、攻める計画はなく、まずこの上海に上陸し、上海市内の各要所を占領したのである。そして、その後、当時の中華民国の首都であった南京市(まもなく首都は重慶にうつってしまうが……)に攻め上っていくのである。そのため、「南京大虐殺」というと、南京市内の侵攻だけに目をうばわれがちであるが、上海市、そして南京市へ入城する前の各地で日本軍が(急な南京侵攻決定であったといわれており、十分な後方支援部隊をともなわず、食料等を現地で略奪した部隊が多かったといわれている)残虐な行為をくり広げたのである。
 南京へは、江蘇省外事弁公室の受け入れで、バスで移動し、12日の午前中に南京博物院、中山陵を見学した後、江蘇省総工会を訪れ、午後から南京大虐殺記念館、昆盧寺などを訪問した。
 私は、日中関係は未来志向であるべきと思う。しかし、そのためにも、日本軍が何をしたかを知っておくことは必要であると思う。それは決して自虐的ではなく、戦争の悲惨さを知ることが必要なんだと思う。
 南京侵略の軍隊に召集された兵士たちは予備役で、その多くが妻子をもっていたといわれている。そんな普通の人々が人を殺し、食料を奪い、強姦していくのである。戦争が人をおかしくするとしか思えない。だからこそ、戦争をおこした責任ははっきりさせなくてはならないのであり、靖国神社のA級戦犯の人たちの問題が出てくるのだと思う。12月13日は、日本軍が南京に入城した日である。絶対に二度と戦争をおこしてはならない。だからこそ、過去に行なったことを忘れてはならないのだと思う。
 この日の夜、名古屋からの友人たちと合流し、懇親会をもった。
 
 13日、我々のグループは朝の飛行機で北京へ。
 そこで前原代表の訪中団と合流し、国務院の新聞弁公室と台湾弁公室を訪問し、夜は中国共産党中央対外連絡部の劉副部長と懇親の場をもった。
 韓国・米国に続き、代表が要人とは会えなかったことに対し、マスコミの目は厳しい。私自身は党所属の議員として、主張すべきことは、ぜひ会って直接話してもらいたいと願うだけである。特に対中国外交では、政府首脳外交がいきづまっているだけに、野党の出番であり、遺憾なのである。
 14日は、前原代表たちの帰国を見送った後、私たちのグループは北京郊外の「怡生園国際会議場」で午前2時間、午後3時間の徹底討論を行った。
 相手方は、中国共産党対外連絡部、外交部、商務部、軍部、中日友好協会の関係者であり、かなりつっこんだ意見交換を行なった。
 夜は、日中それぞれのメンバーが入り混じってチームを編成し、スポーツ交流を行なった。

 15日は、午前中に中日友好協会の陳永昌副会長を訪問し、午後の便で帰途についた。 
 
「災害とNPO」シンポジウム
2005年12月9日(金)
 朝の新幹線で東京へ。仙谷前政調会長のお誘いで、鳩山幹事長も交え、元韓国大使の雀相龍先生と懇談する。
 14時から、青少年問題に関する特別委員会の理事懇を持つ。広島、栃木と連続して発生した小学一年生の女児の刺殺事件を受け、閉会中審査を16日に行うことを決定する。
 人の生命を奪う。ましてや、弱い子どもを狙う犯人に大きな怒りをもつ。
 子どもを突如奪われた、親御さんたちの気持ちを思うと、いたたまれない。とにかく国としてやらなくてはならないことを早急にチェックしたい。
 懇談会の後、急ぎ名古屋へ戻る。18時から、民主党本部NPO局主催のシンポジウム「災害とNPO」を愛知県産業貿易館で行う。元々、神戸と新潟の二箇所で開催予定だったものを9月の総選挙後、私がNPO局に就任したことにより、急遽、地元名古屋で開催することに決定したものである。行政の関係者や町内会の役員さん、消防団の団員の方など様々な立場の方が参加して下さり、大いに盛り上がった。
 ただ、パネラーとして参加していただいた三人のNPOの代表の方から、異口同音に「NPO、ボランティアと期待されても、何と言っても資金が足りない。きちんと行政も我々を位置づけてほしい」という強い要請には、しっかりと答えていきたい。
 
韓国の国会議員に招かれて
2005年12月6日(火)
 ご存知の方も多いと思うが、12月15日前号の週刊誌「週刊新潮」に私のコメントが載っている。前原代表訪韓訪問に関わる一連の動きについてである。
 結局、前原さんは訪韓せず、民主党の「日韓議員交流委員会」の派遣した中川正春衆議院議員を団長とする訪問団のみが韓国を訪れた訳であるが、経緯については語るまいと思う。
 ただ、前原さんには、小泉首相の靖国神社参拝で停滞しているアジア諸国との関係を再構築し、「アジアの平和と発展」のためにダイナミックな外交を展開してもらいたいと願う、だけである。
 そんな中、友人の韓国・開かれたウリ党のI議員から「韓国に来てはどうか、二人だけで話し合いをしたいと思っている。また、来るならせっかくだから他の議員とも会ったらどうか。懇談をそれぞれセットするから」という誘いがあったので、二泊三日で出かけた。
 途中まで準備に携わった先の民主党の訪韓団に日程の都合で参加できなかったので、「渡りに舟」と出かけた。おかげで何人か与野党の国会議員とじっくり話しをすることができた。最終日、昼の飛行機で名古屋へ戻り、杉山ひとし名古屋市議の後援会役員会などに出席した。
 
無題
2005年12月4日(日)
 朝、地元天白川緑区を走る会の開会式に出席。あいにくの小雨模様ながら毎年恒例の大会への出席者は多い。
 その後、仲間とともにナゴヤドームのドッジボール大会に参加。一昨年はベスト8に入った。今年は、日程の都合により途中で失礼したが、我々のチームは計6試合、ベスト16ぐらい(?)まで進出。私も4試合に出場し、アシストであった。来年に向けて、がんばるぞー!
 今日は、「華乃会」というコンサートにおじゃましたり、仲間の野球チームの忘年会へ出たり、友人宅で食事したり、慌しい中ながら、少しゆったりした日となった。
 
無題
2005年12月3日(土)
 10時45分、学童保育大会に来賓として出席し、あいさつ。その後NTT退職者会総会にてあいさつ。夕方は、地元商店街の「クリスマスツリー」点灯式に出席する。
 
サラリーマン増税阻止
2005年12月2日(金)
 夕方、「サラリーマン大増税阻止」の全国一斉決起集会ということで、連合愛知の皆さん、古川元久議員らとともに名駅前の街頭に立つ。
 しかし、税がしっかりと把握され、源泉でとりやすい「サラリーマン」ばかりにしわ寄せをする現在の政府のやり方は「税の公平」原則から外れていると思う。私も9年間、サラリーマン勤めをしたが、私の同期だった仲間にあてはめてみると、数十万円の増税(年間)になると思う。今後10数年間は毎年1万円ずつ、年金のかけ金も上がる。所得税の定率減税はなくなる。あまりにも偏っている。
 
無題
2005年12月1日(木)
いよいよ師走である。初日、JC同期の会に出席。
 
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