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つれづれ日記
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突然の辞任
2006年3月31日(金)
 昨日、急遽の案内が出され、両院議員総会がセットされる。もともと、メール事件についての調査報告書が出るだろうと言われていた日であるが、あまりに急な案内であり、以前からの予定で韓国での日韓フォーラムに出席する予定であったので、10時過ぎに会館を出て、羽田に向かった。しかし、途中、韓国の国内線への乗り継ぎのため降り立ったソウルの空港から日本で電話を入れての唖然……。永田議員の再処分についての意見集約があるかなとは心配していたが、まさか前原代表の辞任とは。
元々、親しい人には、「永田はやめる必要はないと思ってきたが、執行部の対応が悪すぎて辞職をせざるを得ないかもしれない。しかし、同時に執行部も責任をとって会期末に辞任すべき」と話してきたが、あまりに唐突であり、党内を別の意味で混乱に陥れている気がする。辞めるならもっと早くか、あるいはもう少し落ち着いてからではなかっただろうか。慌てて、何人かに電話を入れ、「リベラルの会」の会合の設定もし、予定していた国内線に乗る。しかし、機内でも落ち着かず、主催側のスタッフで、私に声をかけてくれた韓国の研究者に侘びを入れて、できる限りセミナーに顔を出すも、土曜日中に帰ることにする。
空港には、担当者の方が迎えにきてくださっており、携帯電話をお借りし、党内の情勢確認やチケットの変更手続きのためスタッフに電話を入れる。うまいことに、4月1日からダイヤ変更で初日の午前・午後のセミナーに出た後、夕方、成田に直行できる便ができ、それの席をおさえられた。
 19時からの夕食会。日本からは、自民党の国会議員、大学教授の方たちも参加されており、一様に「大変ですね。びっくりしました。次はどなたがやるんですか」と質問を受ける。私自身は、この間の自説である「とにかく、挙党態勢、小沢・鳩山・菅・横路・岡田議員がきっちり協調し、老壮青で自民党とは異なった政策の軸をつくる」と繰り返す。
 夕食会では、慶應義塾大学で教鞭をとる小比木政夫教授、国分良成教授、添谷芳秀教授、早稲田大学の深川由紀子教授、明石康元国連副事務総長や海外の研究者と色々と意見交換をする。

 
青少年問題特別委員会
2006年3月30日(木)
午前中、青少年問題特別委員会をとりもつ。先の猪口大臣の所信表明に対する質疑であったが、20日の川崎市のマンションにおける小3生転落事件が殺人事件であったのではということで、数名の議員がこの件について触れる。
 13時30分、フォーラム平和・人権・環境主催の院内集会に顔を出す。
 その後、自室で恒久平和議連の次回の勉強会について等の打ち合わせ。
 
恒久平和局設置法案
2006年3月29日(水)
 8時、内閣部門会議で恒久平和局設置法案(国会図書館法の一部改正案)の説明を行ない、再提出の了解を得る。その後、一旦、名古屋にもどり、党派は異なるが、父が市議会副議長を務めた時の議長であり、私の地元選挙区選出の故・坂崎巳代治先生のお別れの会に出席する。
 その後、すぐさまトンボ帰りし、リベラルの会の勉強会(講師=川辺一郎・愛知大学教授)に出た後、平岡秀夫議員がパネリストで出席する「週間金曜日600号刊行記念憲法集会」に出る。
 
2006年3月28日(火)
この間の「永田メール事件」に関する執行部の対応が悪い。出来る限り、街頭に出てお詫びと今後に向けての考えを表したいとおもっている。今日は、塩釜の駅に立った。その後新幹線で東京へ。14時から沖縄等米軍基地問題議員懇談会総会に出席。
16時10分、米国ハーバード大学ケネディスクール一行の皆さんとの意見交換。前原代表の簡単な講演の後、質疑が行われる。
18時過ぎ、全日本仏教協会の懇親会に出席した後、環境部会アスベスト対策チームの懇談会に出席。
 
2006年3月27日(月)
朝、恒例の街頭演説を行う。その後、友人と会食し、中部日本放送株式会社の代表取締役会長であった故・横山健一さんのお別れ会に顔を出す。午後2時過ぎには、地元有松駅のモニュメント完成式に出席。夕方は歯の治療。その後お世話になっている顧問弁護士の方と意見交換。
 
会合を回る
2006年3月26日(日)
午前中、ご支援いただいている団体の関係者の皆さんとの懇談会で、講演をさせていただく。テーマは、「環境」であったが、冒頭、県連代表として、この間の事件のお詫びと再発防止についての取り組みについても報告させていただいた。なお、「永田議員のメール事件」についての報道が依然として収まらない。まるで、この件を収束させたくないと思っているかの執行部の対応に疑問をいだく。先の東海ブロック議員団と、代表と幹事長との懇談会の席で申し上げたが、「一体どうこの事件を収拾するつもりなのか見えない。ここまで、この事件の傷を大きくした責任の一端は、代表にある」と思う。永田議員の辞職による収束しかなくなってしまう。12時半過ぎ、別の会の感謝祭へ。その後、やはり、支援していただいているグループの総会へ。明らかに、タクシー業界の規制緩和はいきすぎたと思う。14時、再び、支持していただいている皆さんの支部大会へ。ここのグループは建設業にかかわる一人親方の皆さんの組合であり、「アスベスト」の問題に大きな関心をもっておられる。私たち民主党は、先の「アスベスト」関連法は、政府が責任逃れをしており、反対票を投じた。残念ながら、政府案は通過してしまったが、引き続き取り組んでいく。
 夕方、地元学区の事業に参加。地域コミュニティーの結束を高めるイベントは大賛成で関係者のご参加に敬意を表したい。
 10時過ぎ、県連幹事長として、また、私の生まれ育った中村区進出の県会議員として大活躍の松山のぼる議員の20周年総会にお招きいただき、ご挨拶させていただく。その後、一軒のお通夜に、私が一緒に色々活動させていただいている方のお兄さんで、ご本人とはあまり面識がないが、同じように兄弟を失った者として、心から手を合わさせていただく。
 
インターン生との懇談
2006年3月25日(土)
地元を回る。NPO団体の役員の方から、色々と行政との関係のあり方でご相談を受ける。13時、地元の保育園の卒園式に顔を出す。夕方、二つのおうちのお通夜に参列する。その後、事務所で受け入れているインターン生の人たちと懇談。せっかく研修してもらっていても、私自身が国会開会中なので地元にいない。そのためゆっくり話をする機会がないので、この時間を設けさせていただいた。
 
がんばれ環境省
2006年3月24日(金)
朝8時、環境部門会議。容器包装に係る分別収集及び再商品化の促進等に関する法律の一部を改正する法案等について説明を受ける。私は、この法案の中の「排出抑制」を「発生抑制」にすべきと考えている。しかし、環境省の説明は、「排出を抑制することは発生を抑制することとイコールであり、この法案は、廃棄される容器の量をリサイクルすることによって減らすための法律で、その予備軍である容器の発生、その数を減らす法律ではない」と、まるで環境省らしくない説明をされる。どこかおかしくはないだろうか。
9時30分、インドの国会銀の一行の皆さんと前原代表との懇談に同席。10時過ぎ、少し遅れて、環境委員会に出席。審議の法案は「地球温暖化対策の推進に関する法律の一部を改正する法律案」。わが党からは、吉田泉議員・村井宗明議員が質問に立つ。13時本会議。「刑事施設及び受刑者の処遇等に関する法」についての、法案の趣旨説明及び、質疑が行われる。
 
16年ぶりの再会
2006年3月23日(木)
地元・労組(名交)の定期大会で県連を代表してあいさつ。運営側の配慮で順番を早めていただき、急ぎ名古屋駅へ向かう。13時から本会議であった。
 主なテーマは「行革推進法案」であったが、天下りと談合の問題には取り組まず、ただ無原則に5年間に5%以上の公務員削減のみを明記する法案には問題が多い。
 本会議終了後、青少年問題特別委員会開催の日程決定のため、与野党両筆頭理事と打ち合わせ。その後、15時30分から韓国・ウリ党の国会議員3名の方と懇談。こちら側は仙谷・民主党日韓議員交流委員会委員長をはじめ、3名の議員に対応していただく。
 夜、16年ぶりであろうか、中国留学時代のルームメイトに会う。語学に習熟していた彼は本来の研修目的である書道の研究のため、浙江美術学院(杭州市)に移っていった。そのため一緒にいたのはわずか3週間ほどであったが、妙に気の合う仲間であったあし、北京到着後、お先に招待された父親の友人宅への訪問の際も通訳も務めてくれたのである。また、「文人」とはどうあるべきかとか、「書法」はどうあるべきか、非常に興味深い話を教えてくれたのは彼であった。
 そんな彼は、帰国後、順調に自らの夢を実現し、現在は大東文化大学で教授をつとめ、そして、今度は米国・ボストン大学へ1年間の研究に行くことになった。彼の目的である真の「文人」、日本の誇るべき「文化」の伝道をしてもらいたい。
 
民主党PSE議員懇談会設立
2006年3月22日(水)
朝一番の新幹線で東京へ。会館事務所にて今後の県連活動について打ち合わせ。その後、民主党PSE議員懇談会設立総会に出席。副会長に就任した。問題となっている「電気用品安全法」をつくったのは、経済産業省であるが、現場や文化を大切にしないやり方には反対である。
12時半、友人らと懇談、政治の状況をどう見ているのか等、色々と意見交換。14時、新聞と「知る権利」議員懇談会に出席する。作家・山岡荘八先生のご子息である山岡賢次衆議院議員を会長とし、価格競争により、国民の「知る権利」が阻害される「特殊指定解除」には反対していく方針を確認した。既に、長野県の山間部では、新聞の宅配が成り立たず、自分たちでボックスまで新聞を取りに行くシステムとなっているところもある。価格競争に晒され効率を追い求める中で、情報の質が劣化していくことに、警戒しなくてはならない。16時、国際局役員会。17時から18時半まで「リベラルの会」にて政策懇談。夜は、同会の仲間議員と懇親会を行う。最終の新幹線で名古屋へ戻る。
 
2006年3月21日(火)
今年初めて、休みをとる。
 
中日懇話会
2006年3月20日(月)
植田駅で、早朝の街頭活動、954回目である。会報の受け取りは、悪くないが・・・。
午前中、事務所でミーティング。お昼、ウェスティンナゴヤキャッスルへ。中日懇話会で、鳩山由紀夫幹事長が講演するということで、県連代表として、また、中日新聞社出身ということで、お招きいただいた。しかし、新聞社を離れて、早や12年以上が経った。出身の中日新聞社には、中途で会社を離れたにも関わらず、あたたかく見守っていただいている。私が最初にお世話になった新党さきがけについても、元はといえば亡くなられた加藤巳一郎会長にお願いして、この中日懇話会で武村正義元衆議院議員(当時は、さきがけ代表)に会わせていただいたことにある。それぞれ立場があるが、以前、お世話になった先輩・会社は大事にしたい。
 午後、塚本久県連幹事長、地元の団体等のあいさつ周りを行う。
 
懐かしい皆さん
2006年3月19日(日)
朝、親を亡くした子供たちの「タンポポの集い」に顔を出す。その後、全建愛知天白支部の総会・懇親会に出る。建築現場でがんばる皆さんのアスベスト問題に関する関心はもちろん高く、私が、環境委員会で質問をしたことにも、大変関心を持ってくださる。引き続き取り組んでいくことをお約束する。地元を回り、懐かしい方にもお目にかかる。夜は、母校・千種高校水泳部のOB会に顔を出す。
 
教育!教育!教育!
2006年3月18日(土)
9時半、愛教祖の定期大会へ。格差のない、一人ひとりが平和で安心して暮らせる社会を作るには、とにかく「教育!教育!教育!」だと思う。その後、地元の保育・福祉専門学校の卒業式に出席する。これもまた、少子・高齢化社会にとって重要な教育である。午後1時、「視覚障害を乗り越え中国で日本語教育をおこなう青木陽子さんの講演会」を約1時間半にわたって聞く。文化習慣の違いに真正面から向かい、その上でお互いを大切にする彼女の姿勢に感銘する。その後、東別院の全戦争犠牲者追弔法要記念講演にみえた池田香代子さんに会いに行く。久しぶりに色々話をし、有意義であった。その後、「平和展」を見る。自らの戦争責任をしっかりと検証してきた真宗大谷派に敬服する。
 
わからぬ執行部の意図
2006年3月17日(金)
朝8時、農林漁業再生本部・農林水産・環境部門合同会議に出る。「エコロジカル・フットプリントの活用」というテーマで、グローバル・フットプリント・ネットワークマティース・ワケゲル代表からお話を聞く。10時から環境委員会、質問に立つ。内容は二つ。一つは、水俣病患者さんのの認定基準の問題。同病気の患者さんが初めて認定されて、今年で50年を迎える。中学生の頃、あの痛ましい写真を見た頃、まさか自分がこのことで国会質問を行うとは想像だにしていなかった。未だきちんと解決されていないとは、本当に残念である。国は裁判に負けたのであるから、きちんと認定基準を見直すべきと考える。二つ目は、国有林の伐採の問題。国は、林業の経済的自立をほぼ放棄し、一方で森林の持つ環境面、防災面の価値を大きく評価し、大幅に公益林の面積を増やした。ところが、その森が伐採されているという疑いがある。林野庁の説明は、そういう事実はないということであった。しっかりとフォローしていくつもりである。委員会の後、マスコミ2社の取材を受ける。その後、東海ブロック議員団会議へ。ここに、前原代表、鳩山幹事長も出席され、「永田議員問題」の意見交換が行われた。私の率直な気持ちは、こんな会議を開いている間に早く、きちんと処理をしたほうがいいと思う。国会には問題が山積しているのである。これ以上の停滞は許されないと思う。なお、新聞広告の意味も良くわからないと申し上げた。というのも、そもそも、政党が、ああいう方法で謝罪広告を出すのは、正しいとは思われないし、私の地元で8割近いシェアをもち、全国的にも少なくない発行部数を持つ中日新聞には広告は掲載されていない。名古屋の人から言わせれば、馬鹿にしているということにもなる。一体、党執行部は、何をもって区切りを着けようというのであろうか。会議を出ると、マスコミの皆さんから取材を受けるが、内部の会議ということだけでなく、恥ずかしくて、とても、お話できなかった。午後1時、本会議。夕方、名古屋に戻り、名交労組の支部大会に顔を出す。
 
2006年3月16日(木)
朝、文部科学部門会議の役員会に出た後、外務防衛部門会議に少し出る。その後、農林漁業再生本部・農林水産・環境部門の合同会議に出席し、国の公益(環境・防災)利用に反する国有林の伐採についてのお話を伺う。11時、公益法人改革についての連続レクに出る。12時、青少年問題特別委員会を主宰する。今日は、猪口邦子担当大臣の所信聴取である。13時から、2時間の本会議。その後、お世話になった立正佼成会・松原道雄氏の弔問に向かった。夜は、青少年問題特別委員会の懇親会を会費制で行う。従来は、国の予算を使って、委員長招待として、ホテル等で行ってきたモノであるが、予算の無駄遣いであり、私としては、委員長日当・委員長専用車の辞退の流れの中で、この方法で開かせていた。同じ委員会でありながら、普段なかなか話す機会のない与党の若手議員の方たちとも意見交換できて有意義であった。
 
護憲派のための軍事学
2006年3月15日(水)
お昼、GEA・地球環境行動会議の第28回実行委員会に出席する。昨年秋に行われた皇太子殿下ご夫妻をお招きしての国際会議に新メンバーとして、すでに参加しているが、最近の初の委員会ということで、ここで初めて私の正式メンバーが確認される。午後1時、公益法人改革のレクに出席する。夕方、リベラルの会、今日は明治大学・山田朗教授をお招きしての勉強会。先生は軍備に精通しておられ、「護憲派のための軍事学」という本を出していらっしゃる。つまり、きちんと軍事学を語らずして、本当の平和論は語れないということである。中国の軍事力の冷静な分析、日本の自衛隊装備の変質など、大変興味深いお話で、あらためて、自分の「世界」に書いた論文の内容に、自信を深めた。
 
見せかけの公務員削減
2006年3月14日(火)
午前中、環境委員会。「独立行政法人国立環境研究所法の一部を改正する法律案」についてであったが、名前に国立を残し、国から予算も投入され、独立行政法人ゆえに、天下りの規制も受けず、国家公務員宿舎は引き続き貸与され、「公務員」の名称を「非公務員」とだけ変更し、あたかも「行政改革−公務員減少」が進んだように見せかけるのが小泉流改革である。わが党は、反対したが、こうした「見せかけ」のものがどんどん進んで行くことに歯止めをかけられないことが、本当に残念である。
 なお、私たちは「見せかけ」の改革はかえって「環境研究所」の機能も阻害すると思っている。つまり、環境研究の責任をもってきちんと行うべきであり、いたずらに、公務員削減という風潮にのっていくことは、安定した研究にとってマイナスだと思う。効率を上げつつ、やるべきことはやる。「中ぐらいの政府」こそ実現すべきと考える。
お昼に、東海ブロック国会議員団会議、午後に本会議がもたれた。14時からは、「がん治療の前進をめざす民主党銀懇談会」に出る。その後、中江要介元中国大使の講演を聴きに日中友好会館へ。シリーズになっており今日は第二回目。タイトルは「歴史を鑑として−過去150年から現在、未来を考える−『日華断行』」。会館の事務所に戻り、環境省よりレク。夜は仲間と食事をとり、急ぎ名古屋へ戻る。
 
イラクのこと
2006年3月13日(月)
イラクから帰還した自衛隊員の方の中で、自ら生命を断った方の割合が通常より高くなっていたというデータが出ている。危険の中に見を置く強いストレス(特に米軍と行動を共にする時)と、必ずしも現地で歓迎されていないのではという矛盾からくるストレスであったのかもしれない。イラクでは、多くの人が生命を失ったし、今なお増え続けている。当初(2003年3月19日から4月30日の戦闘期間)の米軍侵攻などで生命を失った米国の兵士数は139人であるのに対し、戦闘に巻き込まれるなどで亡くなったイラクの方の犠牲者は約7,000人にのぼる。そして、2003年5月1日の戦闘終結宣言以降の死者数は、米軍2,128人、イラク人は30,260人にものぼっており、特にここのところは、シーア派とスンニ派による内戦に近い状態でもあるとさえ言われている。これらに対する報道は、残念ながら、十分はない。米国が「大量破壊兵器はある」と言って、先制攻撃し、日本は憲法違反の疑いを侵してまで、自衛隊を派遣し、隊員の中には自殺者が増えていった。そして、イラクそのものは内戦状態に近く、多くの人たちが危険にさらされながら生活をしている。
 一体、米国という国は、何を考え、行動しているのであろうか。折しも、昨日、岩国基地への米軍移転に対する住民投票が成立し、住民の方が「NO」という答えを出した。
 軍隊は結局、市民を守らない。騒音はもちろん、事故に対する危険性、さらには、軍隊が駐留することによる危険性。民主党外交防衛部門会議では、「対中認識」をまとめるなら、まず、「米国との関係に対する認識」こそ、議論すべきではないだろうか。



 
たくさんの会合に顔を出すも、ひとつ残念な会が
2006年3月12日(日)
朝、地元のスポーツ行事の開会式に顔を出す。その後、私が小さい頃から親しみ、現在は顧問をさせていただいている水泳連盟の総会と、新聞社勤務時代に親しみ、以来、理事をさせていただいているヨット連盟の会議に顔を出す。スキーを含み、こうしたスポーツとのかかわりは、私にとって大切にしたいもののひとつである。午後、地元で、災害に関する勉強会に顔を出す。必ずやってくる東海・東南海地震に備え、各地で、こうした催しが開かれている。自治体の備えと各個人の備え、連携が絶対に重要と思う。何箇所か打ち合わせに回り、早めに帰宅する。なお、日程の都合で顔を出せなかったが、今日、東京で、全国戦災障害者連絡会の杉山千佐子さんの生き様を取り上げたドキュメンタリー映画「人間の碑−90歳、今も歩く」の完成披露試写会があった。

 
近代社会とは
2006年3月11日(土)
午前中、地元を回る。午後、障害者自立支援法検証ワーキングチームの第一回会合に顔を出す。国会で成立させた法律はさまざまに各自治体に影響をもたらす。ましてや、この法律のように自立といいながら、財政的観点からの考え、収入の少ない障害のある方に対して、トイレや入浴、移動など、生活に関わる介助援護まで、自己負担を求めるという問題の多いものである。そこで、次回改正に向けて、国、各自治体議員が連携を取って準備していくとともに、来年度の各自治体の予算編成の中で、今ならまだ、独自の支援制度の充実が間に合うので、しっかり対応をしてもらおうという試みである。地味かもしれないが、新しい愛知県連体制の中で私が力を入れていきたいと思っているものである。4時から県連の第2回幹事会を持つ。県連内の各委員会の新しいメンバーの確定やら、離党した木俣参院議員が主宰していた支部の解散などについて、協議を行った。所要約30分という最近にない短時間で終了し、みんなから、安堵の声が出る。色々とやりたいことが
たくさんある。いい布陣ができた。720万愛知県民の皆さんのために、力いっぱいがんばっていきたい。夕方、連れ合いがお世話になり、私自身も大変敬愛している名古屋大学副総長の森英樹先生の退官祝いの会に出席する。残念ながら、最後の講義を聞くことはできなかったが、憲法を考える上で大変教唆に富むお話を、先生のご挨拶の中からいただいた。「自由」「平等」「博愛」ー東西冷戦の終わった今こそ、我々人類は、争いのない平和な世界をつくらなければならない。文明とは、人を殺さないこと。

 
2006年3月10日(金)
朝、前原代表とともに、韓国ハンナラ党・朴代表との朝食会に出席する。その後、事務所で厚生労働省からのレクチュアを聞かせていただいたり、色々事務処理をした後、名古屋へ戻る。そこで、県連代表就任にあたって、地元・中日新聞の取材を受ける。その後、何箇所か回って、家に帰る。
 
久しぶりの街頭国政報告
2006年3月9日(木)
大高駅頭で久しぶりの街頭国政報告を行う。この間の一連の事件への謝罪を載せた最新の会報を配布する。会報の受け取り悪くはない。しかし、ここのところ、パソコンに届くメールの内容は厳しい。当然と思う、小泉流弱肉強食政治に対し、きっちりとモノいっていかなくてはならないときにこの体たらくなのであるから。本当に残念であり、申し訳ないと思う。しかし、何人かの方が、それでも「がんばれよ!」と声をかけてくださる。ありがたい。しっかりと、あきらめず、がんばりたい。その後、青少年特別委員会の理事懇を開き、大臣の所信演説、および、それに関する質疑の委員会を設定する。午後一時、本会議。その前の代議士会では、渡部節を聞く。夕方、盟友となる平岡秀夫衆院議員の会に出席する。このところ、私たちの主宰するリベラルの会が、「反前原」と枕詞を付けられることが多い中(決してそんなことはなく、私たちは政策論議をしているのである)、前原代表も出席しての会となり、テレビを含むかなりの取材陣が入る。なお、この会の記念品の中に平岡さんと私で書いた「民主党の目指すべき外交安保」論を掲載した雑誌「世界」が含まれていた。夜、会合に一つ出た後、96年初当選の同期会に顔を出す。当初、確か30数人いたが、今は10人になってしまっているが、時々は、こうして、意見交換をするのもいい。
 
レクチュアー、レクチュアー、レクチュアー
2006年3月8日(水)
今日は、法案の説明を含めかなりのレクチュアーを受けさせていただいた。?環境省より「フロンの回収」に関する法案、および「鳥獣保護法改正」に関するもの ?厚生労働省より「次世代育成支援に関する取り組み」 ?防衛庁より「中国の軍事力」について ?内閣府より「青少年育成財団」について、である。夕方、公益法人改革についての勉強会に出る。その後、遅れて「リベラルの会」の政策提言意見交換会に出る。
 なお、昨日の外務防衛部門会議における「対中認識について」の原案に対して案を提出した。
 
「対中認識」の文章の意味
2006年3月7日(火)
朝、外務防衛部門会議に出席する。大きく3つのテーマであったが、3つめの「対中認識について」の意見交換がやはり白熱した議論になった。参加者の意見を総合すると、中身については、1.悪くはないが、公表するタイミングを失っている。2.決して否定できない事実を書いているかもしれないが、軍事に偏りすぎている、ということであろうか。しかし、私には、大局として、「メール事件」でガタついている現在になぜ、党内で意見の分かれる件について、無理にまとめようとするのか、分からない。また、中国との関係では言うべきことは言っていくということであるが、この中身(特に「国民の多くが脅威を感じていることには相応の理由がある」「中国政府は『意図』の面からも、わが国の主権を脅かすような言動を繰り返している」「国民の視点からは、現実的な脅威と認識されても無理はないと言える」)では、双方の信頼を崩しかねず、言いたいことを言い合うことが敵対関係につながる危険を感じる。信頼関係があって初めて、お互いが主張し合えると思う。
「前原代表の中国脅威論」発言に端を発した波紋を何とかおさえようとしたところから主に始まったこの文章は、あまりにも、バランスを欠いており、結果的に中国政府の日本への警戒感を強めさせる。やるならば、もっと「東西冷戦後の国際関係やアジア諸国との関係、あるいは、米軍再編をにらんでの日米関係の認識だってまずまとめるべき」ではないだろうか。
 その後、連合愛知での執行委員会での国政報告のため、一端、名古屋に戻る。同会議で、「一体民主党はこの間のドタバタで、働くものが一番関心を持っている、増税(特に定率減税廃止)について、どう思っているんだ!」と強い言葉をいただいた。まさしくその通りである。国民の声を代弁できない政党なら要らないと思う。民主党はもっと現実の生活に目を向けて活動すべきと思う。
 トンボ帰りで東京へ。容器リサイクル法改正に向けて、市民グループの皆さんとの意見交換を行う。
 ところで、先の日記(3月3日)にも書いたが、平岡秀夫議員と私が書いた「民主党がめざすべき外交政策」がいよいよ明日8日発言の月刊「世界」(岩波書店)にも掲載される。ぜひ、お読みいただき意見をいただければと思う。
 
2006年3月6日(月)
朝、久しぶりに事務所・スタッフミーティング。11時、先の「旧正月を祝う会」で知り合った中国の方が来所。色々とお話をする。午後、塚本県連幹事長らと地元のマスコミ各社にあいさつ回り。どこへ行っても「大変ですね」の言葉で始まった。私は、前原さんは現在、代表を辞める必要はないと思うが、もっと謙虚になって欲しい。とにかく「国民の民主党への失意」は大きく、その大きな責任が代表にある。
夕方の新幹線で東京へ。その前に地元の自民党支部役員の方の御通夜へおじゃまさせていただき、地域発展のために尽力された方に手を合わせさせていただいた。
 東京で、東京大空襲に関連した追悼シンポジウムに少しだけ顔を出す。

 
一生懸命がんばることと生きがい
2006年3月5日(日)
朝10時、連合愛知春季生活闘争1万人集会に出席し、民主党を代表して挨拶。冒頭、「先週の木曜日、早々と政府予算を通過させてしまったこと、その状況を党自らの不祥事と先のメール事件で作ってしまったこと」に対するお詫びを申し上げる。お年寄りが税の控除額を減らされ、例年以上に税務相談に出かけられる方が増え、働く方が生活防衛のために、発泡酒を飲み出せば、発泡酒の課税を重くし、親の給料が減ったり、リストラされたため、給食費を払えなくなった子供たちが増えている現実が、小泉さんには見えていない。景気がよくなったといっても、多くの人がリストラされ仕事を失ったり、低い賃金で働きことを余儀なくされている。たとえ、この春闘に勝利しても、それを上回る増税が待っている。一体、いつ安らぎというものがやってくるというのであろう。民主党は絶対にがんばらなくてはならない。歯を食いしばってがんばらなくてはならない。そうでなければ、ある意味がない。大会後、三重県へ。LRT(次世代型路面電車)議連のメンバーとして、員弁市のSL弁慶号の火入れ運転式に出席し、ご挨拶するためである。私の「新党さきがけ」以来の仲間である成田正人桑名市議の呼びかけに応えたものであるが、地域の町おこしの皆さんはじめ近鉄のOB関係者の皆さんたちの大変な情熱で実現したものである。皆さんたちの表情を見ていると、人にとって「生きがい」というものが、いかに大事かというのをあらためて強く感じた。というのも、今日はこの後、緑区で介護関係のボランテイア活動をしていらっしゃる方から、活動がしやすくなるよう省庁への要請のご依頼の相談をいただいたり、NPOの皆さんが開いた「がんに関するシンポジウム」や、NPO主催の「カンボジア地雷撤去キャンペーン写真展」、視覚障害を持つみなさんの主催・参加する「フロアバレーボール全国大会」、さらには「NPOフェスタ」に顔をだしたのである。一生懸命がんばる人が報われる、安心できる社会をつくりたい。
 
民主党全国幹事長・選挙責任者会議
2006年3月4日(土)
民主党全国幹事長・選挙責任者会議が党本部で開催された。私は、もともと参加する会議ではなく、愛知県連からは幹事長の塚本県議と平尾事務局長が出席した。永田議員に対してはもちろん、前原代表に対しても、かなり厳しい意見が出たと聞く。私は、民主党所属の国会議員であり、執行部を批判するのは控えたい。しかしながら、あまりにも、国民の皆さんの状況に目も耳も向けていないやり方に違和感を持たざるを得ない。さらに、来週の外務部門会議において、「対中認識について」のとりまとめをおこないたい意向と聞く。何も先送りがいいと思っているのではない。しかし、意見の分かれることについて、今までの党の論議とは異なること、ましてや、国民のみなさんの期待していらっしゃることとは違うことに何故こだわるのかと思う。
 
民主党の目指すべき安全保障
2006年3月3日(金)
「リベラルの会」代表世話人の一人である平岡秀夫議員と私とで執筆した論文「民主党の目指すべき安全保障」が3月8日発売予定の月刊『世界』(岩波書店)に掲載される。

「メール」問題が収束して一致団結して民主党が再出発するこの時期に、なぜ安保政策で論争をと心配される方もおられると思うが、私たちもこのタイミングを狙って準備してきたわけではない。昨年12月の前原代表による「集団的自衛権行使容認」「中国は現実的脅威」等の発言により、「民主党は自民党と変わらなくなってしまった」という支持者や党員からの声に応える必要があることから、昨年末に書き上げた論文である。年初から出版社と打ち合わせをしてきて、最終的に原稿の校了をしたのは「メール事件」の前である。

また、前原代表は集団的自衛権行使容認と「中国脅威論」に沿って、6月までに党の見解をまとめることを明言しており、「リベラルの会」としても政策提言のとりまとめも目指しているところである。
新聞等では、「反前原執行部」と報道されることもあるが、それは本意ではない。あくまでも、政策の中身で活発な議論を行なおうというのが私たちの思いである。

 以下は「民主党が目指すべき安全保障」論文の要旨である。
「集団的自衛権の行使」容認は、専守防衛・自衛権発動3要件の原則を放棄し、米国の軍事的世界戦略に巻き込まれていく危険が大。前原代表が「集団的自衛権の行使」を検討すべきケースとするミサイル防衛や周辺事態は、「集団的自衛権の行使」をすることに色々問題あり。
 我が国が目指すべき安全保障は、アジア諸国との「地域的集団安全保障」、延いては「EU憲法条約」の教訓を活かした「アジア憲法条約」の確立。
 中国は、国内貧富の格差解消のためにも、周辺諸国との「協調外交」を希求。人民解放軍は、近代化を行っているものの、技術的・能力的に10〜20年の遅れ。「敵意」がなければ「脅威」とはならず、日中相互理解が最大の外交・安全保障政策。日中関係は主張すべきは主張する成熟した関係を目指すべき。
前原代表が、民主党の結党時の外交、安全保障政策を変更し、自民党の外交・安全保障政策と「大きな違いのないもの」を民主党の政策にしようとするならば、民主党の解体を促すことになり、結党時の民主党の理念と政策を支持してきた人たちは2大政党の中で行き場を失ってしまうことになる。
 
一人考える
2006年3月3日(金)
夜、私が大会会長を務める「東海学生基礎スキー選手権大会」の閉会式出席のため夜間瀬に向かう。長野駅から湯田中駅まで三両編成の長野電鉄である。二十数年前、大会や合宿参加のため、思い板を担いで移動していた頃を思い出した。めっきり滑走日数は減ったが、スキーへの思いは今も変わらない。もちろん政治への思いはいつも、熱く燃えている。久しぶりに一人で列車に乗って、色々考えた。ここのところ、悩むことが少なくはないが、自分の信条は粘り強さ。「愚考移山」の精神で、がんばる!
 
緊急事態を乗り越えて
2006年3月2日(木)
朝、文部科学部門会議の役員会に出た後、外交安保部門会議に出る。最新のイラク情勢についてお話をうかがうが、ほとんどシーア派とスンニ派とによる内戦状況に近く、多くの市民が殺されている。一体、米国の行動は何なのか。米国はもちろん、追従した小泉政権も大いに考える必要がある。午後、米国の医薬関係のトップが「中国情勢について聞きたい」とおみえになる。四時半から本会議、その前に渡部恒三先生が国対委員長にを受けられたという話を聞く。党の最高顧問であり、副議長までやられた方である。心から敬意を表したい。何人かの方々が要請を断っておられたので心配していた。とにかく団結して国民の皆さんの方に目を耳を向けていかなければならない。なお、この本会議には永田議員も出席し、私の前の前に座った。一声かけさせてもらったが、厳しい表情をついにくずさなかった。その直後、武部自民党幹事長が入ってみえたので、そちらに行かれた。本会議では、来年度の予算、所得税法改正などが採決された。我が党からは伴野、田嶋、古本議員が討論に立った。
お詫びから入らなければならない厳しい展開であったが、それぞれ、国民の皆さんの声を代弁してがんばった。三人はそれぞれサラリーマン出身であり、緊縮財政といいながら、とりやすいところから税をとり、一向に無駄遣いをやめない上、政府がやらなくてはならない公共サービス(医療、介護、教育など)をきちんと行わない弱肉強食型小泉政権を厳しく論壇した。とにかく政治は国民のみなさんの方を向いていなければならない。その意味で前原代表は、今回の件を重く受け止めて欲しい。
 
2006年3月1日(水)
朝の新幹線で東京へ。昼は前原代表と、帰国される程永華中国公使を迎えて懇談。14時から水俣病問題で打ち合わせ。16時から予算第二分科会で質問に立つ。内容は「個人情報保護法」施行以後、学校現場などで「緊急連絡網がつくれない」「遺児育英基金など学生にとって有用な情報提供がしにくくなった」という状況に、政府がどう対応しているか、などを竹中大臣に質問した。大臣からは「同法はもともと有用な情報を活用するためのもの」と貴重はキーワードが出た。17時からリベラルの会。東大の高橋哲哉先生(話題になった「靖国問題」の著者)に講師としておいでいただいた。予定の時間をこえて盛り上がった。テーマは「精神的自由と改憲問題」。

 
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