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| 決して裕福でない9人兄弟の長男として生まれた父、近藤昭夫は高校卒業後、一旦は国鉄に勤めますが、「大学で勉強したい」という思いを断ち切れず、書生をしながら大学へ通いました。そして、鹿島建設で数年働いたある年、「裕福でないと大学へさえも通えない。誰もが平等になれる社会をつくりたい。人々のためにがんばりたい」と政治の世界に飛び込みました。「地盤も看板もカバンもないやつが当選できるはずがない」と多くの人が嘲笑する中での決意でした。そんな父が、九期三十六年間も名古屋市議会議員を勤めることができたのは、多くの支援者の皆さんのおかげはもちろんのこと、父の「社会のためにがんばりたい」という強い信念のたまものであったと思います。 |
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大学時代は、スキー同好会に所属していました。
入部したときは一番ヘタクソでしたが、ひたすら練習に打ち込み、がむしゃらに上手な人の滑りを頭の中に焼き付けました。リフトが止まった後も山を登っては繰り返し練習に打ち込み、時には、夕日の沈みかかる山々に向って「バカヤロー」なんて叫んで、青春していました。
そして、大学3・4年の時は努力の甲斐あってオールソフィアスキー大会基礎の部で連続優勝を果たすことが出来ました。嬉しかったです。やればできる!と思いました。決してあきらめず、一歩一歩努力をしていくのが近藤昭一のやり方です。 |
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| 自分の信念は決して曲げません。しかしながら、相手の立場・意見を尊重し話をじっくり聞きながら重要なところは取り入れ、必要なときには自分の過ちも認めます。そんな剛直でありながら柔軟な姿勢で、2回にわたる野党環境委員会筆頭理事としては、よりよい法案審議のため現地調査の企画・調整や、法案に対する付帯決議の取りまとめに奔走しました。かつての環境教育推進基本法成立の際には与野党間のやりとりではねばり強く取りまとめに努力し、今年の本会議における温暖化対策決議文の採択では大きな力を発揮しました。 |
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| 子どもの頃はおもちゃのプラモデル作りが大好きでした。完成した時の達成感もさることながら工夫を凝らしどうやればもっといい作品になるかと試行錯誤しながら一つ一つ組み立てていく作業が楽しかったです。その豊かな発想とアイディアは、近藤昭一の作成するポスターやリーフレットづくりに活きています。 |
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