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つれづれ日記
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 皆様へ
長い間途切れてしまいましたが、メルマガ再開です。
不測の事件による前任者の引責辞任を受けて、民主党の県連代表をおおせつかって丁度一年あまりが経ちました。今年に入って、順調に国会論争が滑り始めた途端に、今度は「メール事件」。正式に県連代表にも就任しましたが、最初のうちは「テレビに出るといつも謝ってばかりいる近ちゃん」でした。
この数ヶ月は来年の参議院選挙と県知事選挙候補問題で県連代表としての職務が繁忙を極め、とてもメルルマガ再開までの余裕がありませんでしたが、その分、「近ちゃん日記」に大切なことは書いてきたつもりです。
おかげさまでなんとか両選挙に立派な候補者を擁立もでき、先日の秋恒例の私の議員10周年記念パーティも成功させていただきました。
「再開メルマガ」の最初は、この数ヶ月ブックレツトのようなものをめざしてこつこつと書きとめてきたものを連載でお送りしたいと思います。
題しまして『一票平和革命』。
皆様のご意見とご感想などをいただき、さらに加筆修正し、できれば一冊にまとめてみたいと思っています。ご批判をよろしく、お願いします。
また、従来のように「時事の社会問題」についてもできるだけ触れていきたいと思います。

一 「一票平和革命」−その1「前文」
 
  私たちの本当の国「小さくともキラリと光る国・日本」をつくるために
−戦後61年 事実をみつめ、自ら考え私たち自身の国をつくるために−

 1993年1月31日付をもって、私は9年近く勤務した中日新聞社を離れ、政治の世界にとびこんだ。そしてまもなくして、私は新党さきがけ・武村正義代表のもとを訪ねた。同氏の著書『小さくともキラリと光る国・日本』を読み、その考え方に深く共鳴していたからである。
 日本は、国土も狭く資源もない小さな国だが、一人ひとりが一生懸命がんばり、世界の平和と発展に寄与するキラリと光る国だと、私はずっと思ってきた。しかし一方で、戦後61年間、背負ってきた大きな課題から未だに抜けられないでいることも事実ではないだろうか。
 私は戦後生まれの政治家として、私たちの住む日本をもっともっといい国にしたい。そして、そのためには、宜い加減にあの戦争をきちんと総括し、アジア諸国との関係を修復しなくてはならないと思う。そして、米国一辺倒からも抜け出さなくてはいけないと思う。
 「中国から言われることはない」「韓国から言われることはない。ましてや、その他のアジアの国々から」という言葉を聞くことがある。私もその通りだと思う。しかし、それならば、きちんと自分たちで考え行動しなくてはならない。ところが、果たして日本はこれまで、自分たちできちんと考えてきたのであろうか。逆に次ぎのように問えばわかると思う。すなわち、「米国から言われることはない」と主張してきたことが過去の歴史で何度あったのであろうか。
たしかに戦後の日本と米国との関係は成功体験の歴史であった。日本が世界有数の経済大国になったことに、米国の大きな影響があったのは間違いない。しかし、その一方で、先の大戦で、アジア諸国に行ったことを忘れ、「他人への思いやり」「謙譲の美徳」や、「自然に対する謙虚さ」など、大切なものをいくつも失ってしまい、経済発展にのみに目を奪われて「物質的な競争市場主義」に陥ってしまった。弱肉強食の社会は、元来、私たち日本人にはあまりなじむものではなかったはずなのに!である。
私自身は、1958年の生まれであり、高度成長期に青春時代を過ごし、「豊かな日本」を享受してきた。またその一方で、小学校低学年の頃には、脱脂粉乳も飲み、いくらか戦後の厳しい時代の臭いも嗅いだし、昭和30年代の「古きよき心の時代」の香りも嗅いだ。
 拙文は、戦後61年経ってなお、歴史をきちんと正面から見つめ直すことが出来ず、米国の尻尾ばかり追い駆けているわが愛する日本のこれからを考えるものである。
「これからはアジアの時代であり、アジアの国々と仲良くしていかなくては日本の経済再興はない」などという実利的なことのみから、モノを言っているわけではない。近隣の国々と仲良く出来ないでいることが正しいはずがないし、経済の実利だけで結びついていては人として真に楽しいはずもないではないか、と思うのである。
 私たちの国・日本は、紛れもなくアジアの一国であり、この地域の平和と発展があってこそはじめて、様々な豊かさを享受できるのだと思う。
 私たちは戦後の東西冷戦下の復興の中で、大切なものから目をそむけてきた。戦後61年も経ったからといって、過去の歴史を見つめることは、決して「土下座外交」でも「自虐史観」でもない。事実を事実として受け止め、冷静に物事を判断し、アジア諸国との友好交流を推し進めていくことは、間違いなく私たちにとって良いことであり、避けて通ってはならないことである。
唯一ここでは「なぜアジア諸国が反発するかの背景」を多くの方々に知っていただこうとの一念で筆をとった。回顧的と思われるかも知れないが、私たちが私たちの本当の国をつくるためにはまず、過去を省みなければならないのであり、それは、「前向き」に進むための必要不可欠なものであると確信している。
(つづく)

二 愛知知事選のことでひとこと
― 何故「共闘」などできなかったのか

 4日、日本共産党主導の「革新県政の会」が候補者を擁立したことを受けて、数人の私の支持者から電話をいただいた。どれも「なぜ一緒にやれなかったのか?残念だ」というものである。
 本問題についての私の一貫した見解は以下の三点であり、私も今回の事態については「残念である」と考えている。
@民主党としては共産党との共闘は志向しない。
A石田氏が革新の会と協議協定などを結ぶことについては反対である。
B革新の会が大衆的団体として「勝手連」的に石田氏を応援することについては言及する立場にはない。

一点目について説明の必要はないと思う。一言に要約すれば、昨日まで我党を非難していた党が今日になって「一緒にやろう」と言っても県連として納得できないということだ。ましてや、我党への事前の打診はおろか非公式な挨拶も皆無であり、「我々は石田氏との協議をするのであり、民主党とやるのではない」(過日の新聞報道)との見解。これでは「傲慢」そのものであり、私自身改めて今回それを痛感した次第である。
沖縄では共闘できたではないかという反論もあるかもしれないが、沖縄と愛知ははっきりと違う。私は沖縄には本気で応援に数回出かけていて、そのことも肌身で感じて断言できるのだ。

二点目についても多くを語る必要はない。民主党として今回の石田氏擁立にあたっては政策協定を交わしてはいるが、まずは、石田氏の発信したマニフェストの骨格に党として賛同したからということでスタートしている。そんな経緯をわざと無視しているのか、或いは意識し過ぎているのか、「石田氏は我々との協議にも応じるべきだ」というのは高慢も甚だしいと思う。
今、県内では「石田氏勝手連」が草の根的に運動を行っているが、どこも「石田氏は自分たちと協議すべきだ」などと横車的な要求などはしないで、文字通り県民の幸せのために一つ一つ、小さな力を謙虚に結集しようと汗をかいている。すべてのこうしたグループが今後政策協議を要望したら、どうなるのだろう。それこそ「ご都合主義の口約束だけ」と非難を受けてしまう。「革新・県政の会」は構成団体に共産党という政党も参加する中で前回の知事選では候補者を擁立した別格の確固たる組織である、とおっしゃるかもしれない。しかし、そうであるなら余計に、簡単には政策協定など結べないはずではないだろうか。
私は「草の根勝手連」の皆さんの庶民的な大人の息吹きとこの今回の「共産党・革新県政の会」の幹部諸氏の鼻息の荒さとを比べてみて唖然とせざるを得ないのである。
したがって、三点目の結論である。私はかねてから、「共産党」と「革新県政の会」とを分けて考えてきた。すなわち、一方は政党であり、片方は大衆団体である。そして、その周りに支持する多くの県民が居て、今回はその県民の少なからぬ多くの皆さんが「神田県政の流れを変えるため今回は石田氏を擁立しよう!」と声を挙げられたのだと思う。これは私としては大歓迎である。だからなぜ、「協議すべきだ」などと意地をはらないで、多くの「勝手連」と同じように大道を歩む道を選択しなかったのかと本当に残念に思うのだ。
共闘の基礎は信頼関係だと思う。信頼関係は一つ一つの実践を積み上げながら築きあげられていくものだ。これは日常生活でも政治の領域でも普遍の真理だと思う。「昨日の敵は今日の友」と言うが、そんな政治手法には私は付いていけないし、そんな政治が塵も積もれば山となって今の政治状況の悪しき質を招来したのだと思う。
今回の経緯のなかで、ひょっとしたらこの愛知で共産党がひとつの歴史的な転換をするのではないかと、私としては正直なところ内心は期待もしていた。しかし、やっぱりそうならなかったわけで、その意味で残念なのである。

 
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